ちゃぷたー5・The Past


 雲の色が濃い。
 大気には水の匂いが混じり、少しひんやり重かった。
 めずらしく天気が悪い…
 が。
 勿論そんなことは、5人の旅人が元気を失う理由にはならない。
 「あ、街見えて来た!雨降る前に着けそうだね♪」
 道の先を指し、紅於がはしゃいだ。
 「ほんとだ。割と小さいんですね」
 桔梗がうきうき受ける。
 「お城、まだ見えないね」
 桂は色とりどりの屋根の向こうを透かすように伸び上がった。
 「……?」
 「あれ、どうしました蜜柑ちゃん?」
 首を傾げているリーディングに、橘が尋ねる。
 「うわ、いつもながらめざと」
 「たっちー、えっちー」
 「か、かつさんかえさん」
 茶々を入れられてデコを押さえる。
 「だーって、ねー」
 「ねー」
 「すいません、弟はひとの顔色には敏感なんです。好感以上を持ってる
  女性に限りますけど」
 「だから姉さん、それフォローじゃないってば…」
 やいのやいの。
 ニギヤカしい一行は、妖精の顔色なんてもう忘れたようだ。
 そのまま、街の入り口に着いた。
 看板が出ている。
 紅於は楽しそうに読み上げた。
 「ビールの天地、モーロ村へようこそ!」
 『…へ?』
 4つのリアクションが重なった。
 だらだら汗している蜜柑に視線が集まる。
 「ここ…ビール…」
 「とりくん…いや吸血鬼、は?」
 こまったカオで、ヴォイサーと召喚士が尋ねた。
 しーん。
 雲に籠められた地上に、うすい冷気が流れる。
 「ごっ…」
 道案内妖精の唇が動いた。
 「ごめんなさーい、間違えちゃったあV」
 すってん。
 ボケもコケも、規定通りの数値で入った。



 「まあ、いいんですけど…」
 フライドグリンピースに軽く塩を振りながら、桔梗は呟いた。
 他の4人(蜜柑までちゃっかり)はジョッキ同士をぶつけあい、けっこう幸せそうだ。
 「あれ?
 「ききょさん、飲まないの?」
 とりかわの皿をおばちゃんから受け取ったついでに、桂は隣の席に目を向ける。
 「あ、姉さん飲めないんですよ」
 その向こうにいた橘が、おばちゃんの持った盆からウーロン茶のグラスを取って姉の前に置いた。
 「そっかー」
 もぐもぐ。
 「そ言や、始めから吸血鬼の方ってゆってたもんねえ」
 紅於は、枝豆を手に言った。
 きんきらの目はヴルストサラダから離さない。
 「あ、でも、別に気にしないで下さい。
 「ここも食べ物おいしいし、私的にはオッケーです 」
 「そお?よかったー」
 蜜柑が四川アスパラをかじりながら笑う。
 「アンタは反省しろ」
 桂のツッコミが入った。
 ボケばっかりのこのパーティの中、彼女は涙ぐましく頑張っている。
 「あ、それ少しちょうだい 」
 ついでに、伸び上がって服飾家の皿にフォークを突っ込んだ。
 鮭と芽キャベツのクリームソテー。
 「お・い・し〜 」
 紅於がじんわり呟いた。
 「まだまだ入るよ!
 「おばちゃーん、ワインそぼろのパスタ追加ー 」
 フォークを振り振り叫ぶ。周囲に、桜色の音符が飛び交っていた。
 白いエプロンをつけた、ホール係のおばちゃんが来て、近くの柱に引っかけた伝票を取る。
 「えー、ワインそぼろのパスタ、と
 「他にご注文は?
 「ウチの味はなかなかだろう?どんどん食べとくれよ!」
 「じゃ私、ナスのグラタンと肉団子のスープ!」
 桂も張り切って手を挙げた。
 「僕は…
 「チキンロールとオニオンオムレツと…
 「姉さん、ブロッコリーグラッセ半分コしよう」
 「うん♪
 「あたしあとねー、ツナサラダと柚子豆腐も!」
 「私も柚子豆腐ー。それと、レタスと筍の甘味噌サラダ 」
 もう全員ハイテンションだ。
 「でも、すごい無国籍な店だね」
 召喚士が、空になったジョッキを置きながら言った。
 「うん、楽しー♪」
 紅於は店員から、追加注文品をきゃほきゃほ受け取る。
 「それにおいしー 」
 桔梗はいつもの散漫さはどこへやら、食べる事には心底集中できる様子だ。
 「ほんとですね。なかなかアタリ…
 「…あ?」
 目つきの悪さがいくぶん緩和されている服飾家が、言いかけたまま固まった。
 「たっちー?」
 紅於の声も耳に入らない様子だ。
 ナイフを握った右手が、とん、とテーブルの上に落ちた。
 「な…
 「なずなちゃん!」
 叫ぶなり、椅子を蹴倒して立ち上がる。
 「え、え 」
 「ど、どしたの急に」
 うろたえる仲間にも応えず、店を飛び出した。
 「ちょっ…たっちー!」
 「どこ行くの 」
 紅於たちが尋ねた時には、もう視界から消えていた。
 「…えっとー…」
 4人は、次々出てくる料理を前に顔を見合わせる。
 「なずなちゃんって、ダレ?」
 桂が、桔梗の方へ首を傾げた。
 「あっそうでした 」
 画獣方士が慌てて立ち上がる。
 「行かなくちゃ!」
 「イヤ遅いって」
 方士はこまった顔をした。まさにその通りだ。
 「まあとにかく座って。
 「そんで、話聞かせてよ」
 ヴォイサーが促した。
 「はあ…」
 仕方なく、もう一度座り直す。
 「ねーでもさ。
 「これ、たっちー戻って来なかったらどうする?」
 妖精が、料理の並んだ席を指した。橘の注文品が、どんどん出て来ている。
 「食べちゃえ」
 召喚士は、こともなげにそう言った。


 でも服飾家は、すぐに戻って来た。
 「ちっ」
 「え?」
 「いや何でも。早かったね」
 「見失っちゃいました…」
 まだ桔梗が、
 「なずなちゃんは、隣に住んでた幼なじみなんです」
 とか話し始めたばかりの所だった。
 橘は椅子に戻り、ブロッコリーをひとつつまむ。
 小さく頷き、
 「なずなちゃんと桔梗姉さんと、もう一つ上の姉。子供の頃、僕はこの3人に
  よく遊んでもらったものです」
 「だから妙に女慣れしてて、しかもシスコンなんだ」
 桂が感心したように呟く。
 服飾家は白々しく咳払った。
 「あー、と。
 「でも、ですね。
 「なずなちゃんは、ある事件を境に家を出ちゃったんですよ」
 「事件?」
 「ええ」
 橘は頷き、ちょっと目線を宙に浮かせた。
 どこから話したものか、考えているのだろう。
 「彼女は…
 「なずなちゃんは、白魔法使いなんです。ただちょっとその、腕の方は…」
 「あー」
 「へっぽこなの?」
 紅於はとっても正直だった。
 服飾家は返事を避け、ただ苦笑する。
 「まあそれで…
 「旅に出たいって言い出した時、みんな反対したんです。
 「でもどうしても冒険するんだって聞かなくて」
 「いるよね、そーゆーヒト」
 「ね、ねえちょっと、
 「ちょっと待ってよ?」
 紅於が両手を振り回した。
 「そゆのってさ、よくあるけど、そんで強引に出かけたトコロで
誰かを傷つけて…とか、そゆ…
 「まさかだよね!
 「この話で、そんなマジメな事情が出てくるわけないしっ」
 スゲー言われようである。
 しかし橘は、沈痛に頷いた。
 「…そうなんです」
 「えっ」
 「あの日、
 「僕はたまたま外出から帰った所で居合わせたんですが、
  なずなちゃんは止める家族を振り切って旅に出ようとしてて…」
 「ええっ…」
 「運悪く、振り回した荷物のカドがおばあさんにヒットしちゃったんです!
 「おばあさんはすっ転んでヒザをすりむいて、全治1週間でした」
 「……」
 盛り上がりかけていた聴衆が、へろへろしぼんだ。
 「でもそんなことは後からわかった事で… なずなちゃん、おばあさんを
  ひっくり返した瞬間、すごくショックを受けた顔をしたんです」
 「うーん…」
 さすがの桂も、コメントを控えている。
 「そんで、その子どうしたの?」
 「何回も振り返りながら、走ってっちゃいました。
 「それきり連絡もなくて、もう3年になります」
 「そっかあ…
 「でもたっちー」
 「はい?」
 「3年会ってない子が、一瞬通りかかったの見てすぐわかったんだ。
 「やっぱえっちだよねー」
 しんみりしたのが苦手なんだろう。紅於はにしゃ、と笑って見せた。
 「…あの、かえさん…
 「そうじゃなくて。3年半前のバースデーに、僕が作ってプレゼントした服
着てたんですよ。
 「ちょっと感動したな…」
 照れくさそうに笑う橘に、みんなほんわかした気分がかすめるのを感じた。
 …のに。
 「なずなちゃん、ちっともサイズ変わってないんだ」
 『そこかい』
 期せずして4人のツッコミが揃った。
 桔梗がふと眉を下げる。
 「でも橘、なずなちゃんに会ってどうするの?何か言うの?」
 「うん…
 「おばあさんのケガが軽かった事伝えて、それに…
 「旅に出る時おばさんから、もしかなずなちゃんに会ったら渡してほしいって
言付かってる物があるんだ」
 「へえ…
 「いーなあ、母心だ」
 桂がスプーンを持ったままの手でアゴを撫でた。
 「うん。何だろうね?」
 紅於はもぐもぐしながら首を傾げる。
 「あ、これです」
 と橘はズックのカバンを探り、小さな包みをひっぱり出した。
 包んである薄紙を丁寧に解く。
 「わあ、綺麗。それ何?」
 道案内妖精(しかも方向音痴判明)が歓声を上げた。
 桔梗は弟の手からそれを取り、じっくりしげしげ眺めた。
 どっからどう見ても、
 「お守り」
 紅色の錦に金糸で刺繍が入り、中央に堂々と
 『合格』
 の二文字。
 「なぜ」
 召喚士が呻いた。
 「何でも、一番色が綺麗だったそうです。やー、セリおばさん、いいキャラクター
  ですよねー。
 「実際、チョイスとしても中々だと思いますよ?
 「この布は僕らの故郷の限定特産の錦だし紅色は伝統のさらし染め、金糸も本物なら
  提げ紐も古真田…」
 「そーゆーコアな蘊蓄はいいから。
 「じゃ明日、さ。皆でなずなちゃん探してみようよ」
 「かえさん。ありが…」
 感動の面持ちで視線を落とし、橘は、続きを言えなくなった。
 自分の料理の皿が、空になっている。
 ぜんぶ。
 「こ、これは…」
 「あー、話長くなりそうだったから、冷めちゃうと思って」
 桂の言葉に、他の3人もうんうん頷く。
 「…あう」
 「さー。
 「お腹も膨れたし、とりあえず宿探そ♪」


 とうとう雨が降って来た。
 ばらばらと屋根に当たり、通りにいた人々がいっせいに駆け出す。
 我らがくいだおれ一座も、例外ではなかった。
 「ひゃー」
 だが、彼女たちにはまだ行く所がない。
 「どーしよー」
 「宿屋宿屋…」
 「あ、あそこにカンバン出てます!」
 「助かった!」
 という次第で。
 一行は、目抜き通りから一本入った、あまり大きくない宿屋に駆け込んだ。
 二階建ての建物はかなり古そうだが、その分落ち着いた雰囲気がある。
 何と言うか、知る人ぞ知る隠れ家的な感じが。
 「ふー。
 「ちょうどいいとこに宿屋があって、よかったねー」
 髪の水滴をぷるぷる払い、紅於は帳場に向かった。
 「ねー。
 「私も、羽根濡れちゃうかと思った」
 蜜柑が言った。
 彼女の羽根は出し入れ自由で、今は出ていないのだけれど。
 「くしゅ」
 桔梗がくしゃみをする。
 「あーほら姉さん、早く乾かさないと風邪ひくよ」
 弟が、タオルを出して姉にかぶせた。
 「あーここ、一階は酒場になってるんだ」
 桂は右手を向いている。
 腰までの板壁の向こうに、U字型のバーカウンターが見えている。
 まだ開店前のようだ。
 「ホントだ」
 橘もそちらを振り返る。
 「なんか、いい感じー 」
 タオルの中から桔梗が言った。
 カウンターはあめ色の艶を宿し、奥の棚にはとりどりの酒瓶が並んでいる。
 天井からは格子棚が吊り下げられ、たくさんの磨き込まれたグラスが掛かっていた。
 床から、ワックスのいい匂い。
 窓のガラスには、時間が溜まったような光が宿っている。
 「よさげな酒場だね」
 宿帳を書いた紅於が戻って来た。
 「うん。で、ここ、さ」
 召喚士の目に、星が瞬き始めた。
 「ひょっとして…
 「飲めたりしないかな。アレ」
 妖精がいちばんに反応した。
 「あ。フレイムエールね?」
 「うん。
 「泊まり客なら、出してくんないかなー」
 「あーアリかもー 」
 「いいですねえ♪ゼヒあとで行ってみましょう!」
 拳を握る橘の、ハラの虫がきゅるりと鳴いた。


 「姉さん、どうする?」
 「いっしょに行くー」
 「何か食べてるかい?」
 「うん。それに、見てないと橘ナンパするもん」
 「げほ」
 という訳で、飲めない桔梗も伴って5人は人声のし始めた階下へ下りた。
 8分入りの人をかきわけ、隅のテーブルに着く。
 …が、すぐに座らなかった。
 ちょうど一行の横を、白いお仕着せの給仕が通りかかった。
 ジョッキを持っている。
 両手で合わせて9個の。
 それはそれで見事だが、紅於たちの目が釘付けになっているのは勿論そこじゃない。
 ジョッキの中身だ。
 「ねえ…あれ!」
 「綺麗なロゼカラー」
 「フレイムエールですね!」
 「うんっ!あれだよあれ 」
 「そうよあれよっ♪」
 5人はとりあえず座ったが、どうにもそわそわ落ち着かない。
 注文を取りに来たおかみに、4つの声が同時に飛ぶ。
 『フレイムエール!!』
 「えぇ?」
 おかみはこまった声を出した。
 「フレイムエールかい?
 「参ったね、あれはむやみには出せないんだけど…」
 と腕を組み、彼女らの着ている揃いのユカタに目を留めた。
 「ああ、あんたたち泊まりの客だね。
 「うーん…
 「まあ、いいか…」
 やった。
 "ぐっ。"
 一同の上に、むさ…いや、熱い達成感が立ちこめる。
 こうして、この気楽な一行にもかつて見ない程の盛り上がりが繰り広げられた。
 「いやー、効きますねえ…」
 上機嫌な橘が、5杯目の大ジョッキをテーブルに置いて立ち上がった。
 「ちょっと失礼」
 と店の奥に向かう。
 「たっちーどこ行ったの?」
 「ああ、トイレでしょう。あのヒト、トイレばっかり行ってすぐ酔いが醒めるタイプだから」
 「ふうん」
 「なんかもったいない気もする」
 紅於の言葉に苦笑しながら、桔梗は
 「でも、それ相当気に入ったみたい…ペース早いですし。
 「どんな味なんですか?」
 「けっこ飲みやすいよー。
 「ききょさんもちょっと飲んでみる?」
 桂が自分のジョッキから、コップに2センチ注いだ。
 画獣方士は少し迷ったが受け取った。
 「ほんとに綺麗な色ですねえ」
 ちぴ、と舐めてみる。
 ぼん。
 しゅー…
 「あ 」
 「ききょさん 」
 蒸気を吹き上げ、桔梗はへろへろテーブルに突っ伏した。
 「危ない!!」
 3人が慌てて料理の皿を取りよける。
 ごっ。
 鈍い音がして、方士は動かなくなった。
 「たいへん」
 うろたえている所へ、弟が戻って来る。
 「あれ。姉さん寝ちゃったんですか?行儀悪いなあ、こんなトコで」
 「いやあの…」
 「ごめん、飲ませちゃった。でも、ほんのひとなめだよ?」
 「あー。
 「姉さん、3度のワイン2滴で倒れる特技の持ち主なんです」
 「うわ」
 「気にしないで下さい。アルコール度数聞いてるんだから、自分でムチャした
  だけですよ。
 「きっと、色につられたとかそんなとこでしょう」
 さすがに姉弟、行動パターンをよくわかっている。
 「とりあえず、部屋に連れてきますね」
 と弟は姉を抱え上げた。
 お姫様ダッコだったので、何とない羨望の眼差しが集まった。
 出口に向かおうとして、橘はふと足を止めた。
 ぽそぽそ呟く。
 「…なずなちゃんがいたらよかったんだけどなあ。
 「彼女、酔い覚ましとかのセコい治癒術は得意だったんですよね」
 この台詞を、丁度通りかかったおかみが聞きつけた。
 「なんだ、あんたらなずなちゃんの知り合いかい」
 「え」
 「白魔法使いのなずなちゃんだろ?
 「今お遣いに行って貰ってるけど、じきに帰ってくると思うよ。
 「いやー、あのコが来てくれてから、急性アル中とか酔い潰れる客とかなくなって
  助かってるんだよー」
 「な、なんて…」
 偶然、と言いかけた紅於の後を、橘が引き取った。
 「安直な」
 どやかましい。

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