光の杖(WJ封神演義・天化×太公望)



七章 熱情


 もうじき夜が明ける。
 濃い灰色の空からは細い銀の糸が降りしきり、天化の周囲に水蒸
気を上げている。
 軍師の部屋の外。
 勇んで戻って来たはいいが…
 さて本人を目の前にすれば、何と切り出せばいいのかわからない。
 (スース…)
 太公望は、机の上にうつ伏せて転寝している。燭台のやわらかい
明かりに、ヨダレの筋が光った。
 ふと、伸びをしながら身を起こす。
 「いかんいかん、転寝てしまった…」
 ぶつぶつ呟く声。
 立ち上がって窓に近付いた。
 「ん。
 「そこに誰かいるのか?」
 人影というよりは、天化の周りの水蒸気が見えたのだろう。不審
げに尋ねる。
 道士が進み出た。もう出たとこ勝負だ。
 「よぉスース、お久」
 「天化。
 「なぜここにいる…いやそれより、ずぶ濡れではないか!早く中
  に入るのだ!!」
 「ああ…」
 軍師の開けた窓によじ登った。
 「これ、こんな所から…」
 太公望が叱りながら脇へどく。タオルを出して天化に放った。
 「ちゃんと拭くのだぞ。
 「着替えはあるのか」
 「あ。
 「監視所に全部置きっ放しで来ちまった」
 太公望は肩をすくめ、自分のガウンを渡した。
 勿論、つんつるてんだ。
 「カッコ悪ぃさ…」
 「我慢せい、朝になったら補給部から何か届けさせる。
 「ぜんたい、このような時間にどうしたのだ?
 「監視所も大体形になったから明日…もう今日か。帰るとは聞い
  ておるが、このような夜明け前に…
 「ん。しかも一人か?」
 重要ポイントにやっと気付く軍師に、天化はちょっと笑った。
 タオルを椅子の背にかける。
 「おやじ達は、今日の昼頃向こうを出るそうさ。
 「俺っちだけ、あーたに話があって先に帰って来た…」
 「話?」
 太公望は新しいタオルを出して来た。
 すいと近付き、まだ雫の伝う髪をつまむ。
 「ちゃんと拭けと言うのに」
 タオルを天化にかぶせ、背伸びしてぐしゃぐしゃ拭いた。
 「風邪などひいてて貰う余裕はないぞ」
 天化は舞い上がろうとする気持ちを抑えかね、視線を逸らした。
 何となく、机上に拡げられた書類を見る。
 「!?
 「スース、これっ…!」
 「む?ああ、それか」
 太公望が手を離した。
 タオルを天化の肩にかけ、書類を簡単にまとめる。
 そこには、軍師に対する不満の声がいくつも書き連ねられていた。
 やり方が強引、汚い、マイペース…
 ご丁寧にも、呪詛が添えられているものまである。
 「いつからそんな!」
 軍師はこりこり鼻の頭を掻いた。
 「まあ仕方あるまい。
 「人は、己にできる範囲でしかものごとを理解せぬものだ。
 「それが悪いとは思わぬがのう。
 「個々にズレたり違ったりするから、もっと考えたり歩み寄った
  りできる。誰かのために努力したり、誰かが自分のために努力
  してくれたりするのは嬉しいものであろう?」
 「スース…」
 天化の耳に、親父の言葉が蘇る。
 『努力しなきゃ、何も始まらねえ』…
 「で、天化よ。おぬしの話とは?」
 太公望は机を背に振り返った。
 「……」
 「天化?
 「加減でも悪いのか。顔が赤…」
 「どこも悪くねえ」
 天化は軍師の細い手首をつかんだ。タオルが落ちて床にわだかまる。
 「…?」
 「スース」
 一つ息を入れた。
 太公望をまっすぐに見る。
 「俺っち、あーたに惚れてる。あーたに触りたくて仕方ねえさ」
 軍師が白くなった。
 片手で半面を覆う。
 「スース?」
 「おっ…
 「…おぬしは、なんとも、ストレートだのう……」
 顔が、そりゃもう真赤だ。
 天化はすこし笑い、細い腰を引き寄せた。
 「おやじに言われたさ。ちゃんと伝えて、そんで請えって」
 顔を上げさせて視線を合わせる。
 「天…」
 「返事、聞かせて欲しいさ」
 太公望の目線が泳いだ。
 片手を天化の腕にかけたが、力が入っていない。
 「拒むんなら、ちゃんと言葉にしねえと聞かねえ」
 「いっ…今答えぬといかんのか」
 「こんなの、時間かけて考えるようなことさ?気持ちなんか、
  自分の胸に聞いてみるしかねえべ」
 「って、おぬしは、
 「ほんとに感覚的だのう」
 「あーた、俺っちのそゆトコがスキだって言ったさ」
 「むー…」
 眉を下げる軍師が、突然小さく笑った。
 「?」
 「とてつもなく我慢しておるのう」
 頬に当てられた、こまかく震える手に触れる。
 紫陽洞の道士は手を離し、軍師のしめった手袋を脱がせた。
 掌いっぱい汗をかいている。
 「スースこそ、すげえ緊張してるさ」
 目が合う。
 お互いにちょっと笑った。
 こつん。
 天化が屈み、額同士を軽くぶつける。
 「スース。
 「スース…」
 太公望が、短い息を三つ吐いた。
 「…そのカッコ、しまらぬのう…」
 「それは言わねえ約束さ」
 ごち。
 今度は、デコが少し強くぶつかる。
 シリアスの苦手な怠け者はこりこり頬を掻いた。
 手を降ろすと、じっと求愛者を見上げる。
 「約束…するか?」
 尋ねる声はかすれていた。
 「何を、さ?」
 尋ね返す声も。
 太公望は情けない顔で息を呑む。
 浅い息をついてから、意を決したように拳を握り、少し早口で言
った。
 「生き延びると…
 「誰よりもたくさん、わしの名を呼ぶと…約束するか?」
 知恵を映す黒瞳が潤んでいる。
 天化は、理性が音を立てて溶け始めるのを感じた。
 「スース…」
 両手で頬を包み、持ち上げる。抵抗はない。
 唇を寄せると、呼吸が震えた。
 「てっ…んか…約、束…」
 太公望は首を振ろうとする。
 が天化の手はそれを許さない。
 唇が触れた。
 そのまま強く押しつけられる。
 「んっ…!」
 もがくのに構わず、天化は道兄を更に強く抱きしめる。
 あたたかい。
 この体温が必要だった…
 近来の不安や苛立ちが消え始めるのを感じる。
 はあっ…
 唇が離れると、軍師は大きく息をついた。
 夜明け前の空気に似た蒼い吐息が鼻先に触れ、天化の情欲を熱に
変換して行く。
 熱は、行動に変わるだろう。
 やっとのことで、彼は恋慕の相手から手を離した。非常な努力が
必要だった。
 「ちょっと、待ってるさ…」
 殊更ゆっくりした動作で、窓や戸口の錠を下ろしに行く。
 雨の音が消えた。
 奇妙に白々しい静寂が、だいぶ短くなった蝋燭にまつわりついて
拡がる。
 散らばる木簡をよけよけ、若い道士はひたすらこまっている軍師
のもとへ戻った。
 「約束するさ」
 畏れるようにそっと手を伸ばし、やわらかい前髪をこめかみへ流
した。
 「呼べって言うなら、何万回でもあーたを呼ぶ。俺っち、あーた
  の隣にいる。
 「ちゃんと知ってる。
 「スースの手には、俺っちたちを導く光る杖が宿ってる…」
 じっと目を覗き込む。しっかりと視線が返った。
 「天化…
 「わしに、ついてくるのだな?生きるのだな?」
 「ああ」
 天化が頷く。
 太公望はかすかに微笑んだ。そろそろと目を伏せる。
 その眉間に寄ったしわを親指でなぞり、剣士は、知恵のつまった
頭を肩で覆うように抱え寄せた。
 「…ぅ、ッ…」
 呼吸が暴走しようとする。
 軍師の背を支える腕に力をこめた。
 白い角つき帽子が落ち、床で軽い音をたてる。
 天化は紺のケープを外しにかかった。
 まるい肩の線に苦笑を浮かべる。
 「スース、パッドでごまかしまくりさ」
 細い下がり肩を撫でると、太公望の口が曲がった。
 首に唇を当てられて身を縮める。
 「てっ…ん…」
 頼りなく宙を泳ぐ腕。
 それを器用に避け、天化は、軍師の上衣をすぽんと引き抜いた。
 どこもかしこも真っ平で、あまり抵抗もない。
 小柄な体をコドモ抱きに抱え上げた。
 「て、天化」
 慌てた声を聞き捨てて寝台へ向かう。
 ひたひた…裸足の足音が夜明け前の静謐をこっそりと欺く。
 ぽすん。
 崑崙の最高幹部は、敷布の上に降ろされてぎゅっと目をつむる。
 天化はそっとその上にのしかかった。木づくりの寝台が小さく軋
んだ。
 「スース…」
 シャツを捲り、うすい胸に口づける。
 半乾きの髪が冷たかったのか、太公望が身をよじる。
 天化はシャツの背へ手を差し込んで貧弱な肩を掌に包んだ。
 伸び上がり、唇を合わせる。
 ついばむように…
 それから、貪るように。
 舌同士を結ぶ透明な糸が、幾度も両者を引き寄せた。
 「て、天…化…
 「おぬし、傷は…大丈夫、なのか…?」
 「…野暮なこと言わねえでくれ」
 なおも口付けが繰り返される。
 高まっていく互いの呼吸に、世界が支配されようとする。
 ちり…と、かすかな音が揺れた。
 机の上に置き忘れられたまま力尽きた蝋燭の炎が、ふうと膨らん
で唐突に消える。
 真の闇の中、食欲の割に肉のつかない腕が、冷えた黒髪を抱えた。
 「…竹の匂いがする」
 どこかふわふわ囁く声。
 耳許に短い吐息が触れ、天化の頭が熱くなる。
 「まっすぐな、潔い匂いだ…
 「おぬしによく似合う」
 へちょ。頬に柔らかいものが当たった。
 一瞬何をされたのかわからなかった。
 頼りない感触。
 けれど、キスはキスだ。
 太公望からの、初めての…たぶん、精一杯の。
 「スー…ス」
 天化の指は、アバラの本数を数えながらやわらかい肌を下っていく。
 腹部に掌を当て、ゆっくり円を描いた。
 「…っ!」
 跳ね起きようとする喉元を顎で抑える。
 手は、更に下へ。
 ズボンの履き込みをめくって、恋人の中心に触れた。
 「う」
 太公望が小さく呻く。
 「てっ…んか!
 「や、やっぱりやめ…」
 「今更泣き入れても、もう止まらねえ」
 「おっ、おおおおぬしっ…」
 「うるさいさ」
 若い道士は、肩へ突っ張る手を咥えてはがす。
 少しずつ芯の入る太公望自身を指先で確かめながら、自分もまた
兆しが現れ始めているのを痛いほど意識する。
 シャツを脱がせて細い肩を吸い、かるく歯を立てる。
 くう、と軍師の喉が鳴った。
 太公望はきつく歯を食いしばり息を詰めている。
 「スース…」
 天化は片手でその顎をつかみ、口に無理矢理指をこじ入れた。
 「ちゃんと息するさ。
 「あーたが酸欠起こしてバカにでもなったら、俺っち極刑間違い
  ナシさ」
 「ば、ばかもの…」
 半泣きの声が更に天化を煽る。
 全身を炎に炙られるまま、乱暴に太公望のズボンを引き下ろした。
 「てっ…ん…!」
 自分の着ている、つんつるてんのガウンをむしり捨てる。
 熱い舌が、しみ一つない滑らかな肌を這い下りる。
 太公望は両手を体の横に投げ出し、寝布をつかみしめた。
 力の入りすぎた肩が縮こまっている。
 「…う…」
 下腹部に濡れた感触が触れ、腰を引こうとした。
 が、体はぴったりと台面に押しつけられている。
 「ま、待…て、天化!」
 天化は返事をしない。
 太公望の穂先を、口に含んだ。
 「ッ…!」
 その瞬間湧き上がり、四肢を貫いた熱を何と呼べばいいのだろう。
 羞恥?
 拒絶?
 胸を貫く…喪失の痛み。
 それから確かに歓喜と。
 恋情が行為に変わるには、『えい』と思い切る瞬間が必要なもの
だが…
 太公望には、この時がそうだったかもしれない。
 堪えきれずに先走る露を意識した瞬間。
 天化が小さく息をついた。
 両手で平らな臀部を押し分ける。
 秘所に指を当てられて、太公望が身震いする。
 指はそのまま侵入した。
 「ん、…!」
 跳ね上がろうとする腰はしっかり押さえつけられる。
 若い道士はゆっくり指を動した。
 宙を突き、かすかに揺れる太公望の尖端を舌でなぞり上げる。
 「う…
 「…てん…か…」
 震える手が宙に差し上げられる。
 かすれた声に混じる気持ちを、天化は聞いただろうか。
 素直な黒髪に触れる指を捕え、身を起こした。
 ぎし…
 寝台が鳴る。
 「…こゆ時は、愛してるとかって言うべきさ?」
 「い…言わんでよいっ」
 「そうかい」
 「おぬしはっ…」
 「何さ」
 余計な肉のない、しなやかなムチに似た腕が、強引に小さな膝を
立てさせる。
 呼吸が、今すぐ破裂しそうに激しい。
 鼓動に塞がれた耳が痛い。
 「」
 太公望が唇を開いたが、何も言わずに顔を背けた。
 天化は一つ深呼吸した。
 「…スース。
 「も・ちょっとだけ足開いてくんねーと、入りにくいさ…」
 「う…」
 あまりな要求にへちゃける足が抱え上げられる。
 菊の蕾に、固いものが押し当てられた。太公望はぎゅっと奥歯を
噛みしめる。
 「スース…」
 体にかかる負荷に、恐怖とも安堵ともつかない不思議な感情を覚えた。
 「ん、うっ…!」
 目の奥で、光が爆発した。




 

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