光の杖(WJ封神演義・天化×太公望)



六章 気持ちの孵化温


 翌日。
 軍議の席上、武成王に街道監視の任が与えられた。
 言わば、機関としての情報部が初めて正式に軍の中に設置された
格好になる。
 「という訳で、これはおぬしの管轄となるが、おぬし自身を常駐
  させるわけには行かぬ。一応の体制を整えたら信頼できる者を
  選んで後を任せ、軍に戻ってもらいたい。
 「当てはあるな?」
 「おう、任せとけって。人材の育成も俺の仕事の一つだぜ」
 「うむ、頼もしいのう」
 太公望がにっかり笑う。
 黄飛虎もつられて笑い、
 「ま、オメーほどは人使いうまかねえけどよ」
 「なに、それがわしの仕事の本質よ」
 「だっはっは、なるほど!」
 べむ!
 軍師の背を叩く。
 「おお!?」
 軽量の道士が吹っ飛んだ。
 すかさず・ちゃっかり進み出た楊ゼンに受け止められる。
 「大丈夫ですか師叔!」
 「う…うむ…」
 恨みがましく武成王を振り返った。涙目で背中を押さえている。
 「痛いのうっ!
 「加減をせぬか加減を!!」
 「悪ぃ悪ぃ」
 「まったく…
 「おぬしら親子と来た日には、気楽にだかだか人をどつきおる」
 視線を投げられ、踏み出しかけたまま止まっていた天化が解縛さ
れた。
 「フレンドリーな家なんだよ」
 飛虎がヘーキで言う。
 「じゃ、俺は準備にかかるぜ」
 半身を出口に向けた。
 「うむ。
 「資材の調達には、武吉を連れていくとよかろう」
 「ああ、そいつは助かるな。
 「行くぞ天化」
 「あ、ああ」


 ぱっこぱっこぱっこ。
 のんびりした馬蹄の音が、晴れた空へ抜けていく。
 諜報活動を始めようと言うのだから、先発の一行はわずかに6人。
 黄家の当主、次男、四男と武吉、あとは工兵が2人である。
 いずれも平服を身に着けている。武成王のでっかさばかりは隠せ
やしねえのだが。
 「その何とかって町の有力者との待ち合わせ場所まで、あとどの
  くらいだ?」
 黄飛虎が、懐を確かめながら尋ねた。太公望から預かった書状は、
そこにちゃんと収まっている。
 「倣さんさ。
 「もう遠くねえ。馬ならじきさ」
 案内の天化が振り返る。
 少し馬を下げ、父に並んだ。
 「いい天気だな」
 親父がのんびり言った。
 樹から飛び立った小鳥が頭上を通過していく。
 「いい天気さ」
 天化はのんびり答えた。
 よく見ると、指先が苛々と馬のたてがみをいじっている。
 大欠伸をした武成王が、片目で二番目の息子を見た。
 「落ち着かねえな」
 「え」
 ぎくんぽ。
 道士がタバコを落とした。
 何となく後ろを振り返る。弟は武吉とにぎやかにお喋り中だ。
 親父が、さりげなく後続の馬との距離を開けた。
 「相談でもあんのか?」
 「あ…あ、いや、まあ…」
 「何だはっきりしねぇな珍しい」
 ちなみに今の一言は、息継ぎや間を全く取らずに一気読みしてほしい。
 「う。
 「いや、だから…
 「…親父、よぉ」
 「うん?」
 「オフクロに、惚れてたさ?」
 「当たりめえだ、いい女だった!」
 即答である。
 「どんな風に思ってた?」
 「あぁ?」
 「だっ…だから、
 「すげえ触りてぇのに、いざ触ると慌てちまうとか、
 「…他の奴には触らせたくねえとか…」
 「ははぁん」
 親父が口の両端を上げた。次男を軽く小突く。
 「好きなヤツができたな?」
 天化の顔に、一気に朱が入った。
 「そーかそーか、オメーがねえ。
 「ガキの頃に俺の手離れて仙界行っちまって、あんな頃のまんま
  の気でいたが、ちゃんと成長してんだなー」
 なんか一人で悦に入ってるし。
 「で?」
 「で、って?」
 「相手だよ。
 「どこの誰だ」
 飛虎は楽しそうだ。
 「ど!どこって…
 「そんなの関係ねえさ」
 「あー、そっか。オメー初恋か」
 でっかいにやにや。
 「嬉しはずかし、人に言うなア照れ臭いよなー」
 「親父、声がでけえさ…」
 「あ?悪ぃ悪ぃ」
 困った顔の息子に、武成王は目を細めた。
 「相談ってなそれか?
 「察するに、恋敵ありってとこか」
 「…」
 イタい所を突かれて、天化はちみっと静かになった。
 そう、いるのだ。
 それも、強力なのが。
 はああ。
 思わず溜め息。
 と、後ろで声がした。
 「あれ」
 「どうした?武吉っちゃん」
 振り返ると、樵の少年は鞍から伸び上がって前方を見つめている。
 「向こうから来る馬…
 「乗ってる人の服、こないだお師匠さまの所に来た手紙と同じ紋
  章がついてます!」
 「へえ、迎えさ?」
 「この距離でよく見えるな」
 武成王が呆れた。
 まだ点くらいの影である。
 「ぼく、目はいい方なんです!」
 「いい方ってレベルじゃねえさ…」
 「あー…ま、とにかく無事に会えそうだ。
 「天化、
 「今の話は、またその内ゆっくりな」


 多忙な数日が過ぎた。
 『またその内』の機会が持てぬまま、黄一家は翌日には帰陣する
ことになった。
 夜半、天化はふと目が覚めた。
 気温が低い。
 (空気が重い感じさ…)
 雨が降るのかもしれない。
 のそのそ起き出し、外へ出た。
 やっと屋根がついた監視所の建物の、木の香りが湿った空気の中
に沈んでいる。
 露を含み始めた笹の葉をつまみ、道士は黒い空を見上げた。
 長い息を吐く。
 「眠れねえのか?」
 横手で声がした。
 「おやじ」
 黄飛虎が、薪を積んだ上に座ってひらひら手を振ってよこした。
 「まあ、よ。
 「初めて人を好きになって、しかもライバルつきまで自覚したとこ
  で離されりゃ落ち着かねえよな。
 「明日帰れるって思や、尚更だ」
 「そ、そんなんじゃねえさ」
 「照れるなよ」
 親父が小さく笑った。
 「俺も覚えてるぜ。そういう、居ても立ってもいられねえ気持ち
  をな。
 「相手の姿が見られる・声が聞ける・肌に触れられる…
 「自分を見て笑ってくれるか?心変わりしてねえか?
 「嬉しくて、不安で、気恥ずかしくて、世界中が味方みてえな敵
  みてえな…」
 「……」
 短い沈黙が落ちた。
 鼻の頭が熱くなって、天化は父に背を向けた。
 「で?」
 親父が促した。
 意味がわからず振り返る。
 「何を迷ってる」
 「…!」
 「そんなシケた面ァ、らしくねえぜ。言っちまえって」
 「…ライバルが、でっかいさ…」
 飛虎はキョトンとした顔をした。
 「へえ?
 「オメーにそんな風に思わせる程の奴か」
 程も何も。
 当の相手に誰よりも信頼されている、天才の呼び声も高い崑崙の
俊英だ。
 「そんでオメーは、相手にゃ気持ちを伝えたのか?」
 親父が質問に、天化はちょっと目を見開いた。
 そう言えば、ちゃんと言葉にして伝えていない。
 「言って…ねえ。けど、伝わってるとは思うさ…」
 「伝わってることと、伝えることは別の話だぜ。
 「わかって欲しけりゃ伝えろ、望むなら請え。ライバルより先に
  だ。努力すんだよ。そうしなきゃ、何も始まらねえ」
 「おやじ…」
 天化は不意に気付いた。
 問題はライバルの存在じゃない。
 太公望の気持ちが分からないことだ。
 誰を信頼してたっていい。自分だって信じられてるはずだ。
 自分の気持ちが、重荷でないか…いや正直に言えば、応えてくれ
る気があるかどうかを知りたい…!
 心の中で、ぱん、と音がした。気持ちが、迷いの殻を破る音だ。
 伝えたい。
 懐にあたためて来た思いが、初めて世界に生まれた。
 「お…やじ…
 「おやじ!」
 若い道士は顔を上げた。本来の、さっぱりした顔に戻っている。
 「おう。
 「ここはもういい、行きな」
 「ああ!」
 「そうだ。陣へ戻ったらよ、太公望どのに俺達も明日の昼頃出発
  するって言っといてくれや」
 天化は頷き、厩へ向かって駆け出した。
 「サンキュー、おやじ!」
 「おう。
 「オメーはいい男だ。きっと通じるって。がんばれよ!」
 笑顔で走っていく息子を見送り、武成王はぺん、とデコを叩いた。
 「しまった。
 「相手が誰か吐かせてやろうと思ってたのによ!」




 

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