光の杖(WJ封神演義・天化×太公望)



四章 世界の鍵


 「むー。裸足で歩いた方の足がかゆい…
 「天化よ、
 「何も落ちていた靴を放らずとも、持って来てくれればよかったのだ」
 太公望は、黒い下敷きごしに太陽を見ながらボヤいた。
 「太陽の位置が…
 「約80度、と。書いたか?」
 天化は返事をしない。
 ちょっと気が抜けていた。
 まあ、そりゃ。
 別に、場所を変えて『どうにか』なろうと思ったわけではない。
 ないけれどしかし、
 急にいつも通りのテンションに戻られるのもなにやらこう、くす
ぶるものがあると言うか…
 「これ」
 下敷きで頭をこすられた。
 静電気で逆立つ髪の感触が気持ち悪い。
 「なにするさ」
 「返事くらいせぬか。
 「それに、そこの角度が違っておる」
 と太公望は天化の手許の地勢図を指す。
 言われてみれば、道の交差が20度くらいも違っている箇所があった。
 慌てて訂正する。
 「うむ、それでよい。
 「おぬし存外器用だのう」
 ものすごく近くで声がした。
 周軍師は天化の背後から首だけ出し、図面を覗き込んでいる。
 耳に、やわらかい前髪が触れた。
 「うわ」
 ぺん!
 思わず童顔をはたき落とす。
 「おぅ」
 簡単にひっくり返る太公望。
 「痛いのうっ!
 「いきなり何をするのだ 」
 そのままの体勢でイバった。
 「す…すまねえスース。
 「けど、あーたも悪いさ」
 助け起こす天化は、視線を合わせようとしない。
 ひどく耳が熱かった。
 「いきなり顔近付けるから!」
 「と言われても…
 「図面がおぬしの手にあるのだから、仕方あるまい。」
 太公望はぶータレている。
 「だいたい、だからと言って裏拳はよさぬか」
 「…」
 天化はすこししょげた。
 太公望のテンションは超いつも通りだ。
 さっき、気持ちが通じたように思ったのは気のせいだったのだ
ろうか。
 それとも。
 ぽつりと不安が落ちる。
 これがスースの答えか?
 ぶるぶる首を振る。
 自分が自分のような気がしない。
 人を恋うというのは、こういうことなんだろうか…
 「何だ?
 「忙しいのう、何を百面相しておる…
 「ん。
 「おぬし、靴がえらく傷んでおるのう。
 「それも踵だけ。砦を出る時、おニューを履いておらんかったか?」
 「あ、いや、これは…
 「崖を滑り降りた時に擦り切れたさ」
 「崖。と言うと…あの崖か?
 「無茶だのう」
 「スースが危ねえって、夢中だったさ」
 ぽろりと出た天化の気持ちに、太公望の顔に朱が入った。
 白々しく咳払う。
 どうやら、まるきり意識してないわけでもなさそうだ。
 「そ、そうか。心配をかけた。
 「そう言えば、まだちゃんと礼も言っておらぬ」
 「そんなもんはいいさ。
 「俺っちは、あーたを守るためについて来たんだから」
 太公望がほんわか笑った。
 「かたじけないのう」
 このジジイ、時々妙に可愛げがある。
 …だから困る。
 天化は軽く目を閉じ、深呼吸した。
 図面を膝から降ろす。
 「ちょっと、散歩して来ていいさ?」
 「うむ?
 「構わぬが…長くならぬようにのう」
 「了解」
 立ち上がった時。
 背後の茂みがばさばさと鳴った。
 「む 」
 「何さっ 」
 天化は振り返ると同時に太公望の前に出る。
 手が莫邪の宝剣にかかった。
 乱雑に分けられた茂みから、人影がよろめき出て来た。
 亘だ。
 天化が舌打つ。
 「しょうこりもねえ!」
 「待て、様子がおかしい」
 軍師の制止に、足を止める。
 亘は二歩進んでがくりと膝をついた。
 肩が震える。
 土をつかむ手は、紫色に変色して腫れ上がっていた。
 「…!?」
 (俺っちの…傷と、おんなじ色さ…)
 「あ…う…」
 奇妙にブレた声を洩らし、チンピラはのろのろと顔を上げた。
 眼球がひっくり返っている。
 「うわ…」
 天化は思わず半歩下がった。
 亘は立ち上がろうともがいている。やっと身を起こし、膝を立てた。
 ばしゅ!
 すねの骨が膝を突き破る。
 そのまま、大柄な体はどさりと血だまりの中に崩れた。
 「なんと…」
 「いっ…一体…」
 じわじわ縮んでいく『人間であったもの』から目を離せぬまま、
道士たちが低く呻く。
 そこへ、
 「ああ、いたいた」
 ごく暢気な声が緊張を破った。
 「誰さ!」
 慌てて見回す。
 風に揺れる木々の騒めきに隠れ、人ならざる気配が確かにある。
 が、道士たちの視覚はその姿をとらえられない。
 ひゅ。
 空気が鳴った。
 気配が目の前に降って来る。
 じわりと、風景から異形がにじみ出た。
 「妖怪仙人!?」
 「半妖態か!」
 人間サイズの黄緑のトカゲが直立し、亘であったものをひょいと
つかみ上げた。
 ぱり…
 皮膚が簡単に裂け、大量の血がどぶりと撒かれる。
 むせ返るような生臭さ。太公望が口元を押さえた。
 「ああ、もったいない…
 「溶解毒の量が合わなかったかな…人間は脆くていけないなあ。
 「せっかくの食糧がパアだよ」
 異形はぶちぶち呟き、手を伝う赤黒い粘液を細い舌で舐め取った。
 太公望が片手を天化の肩にかけた。
 「お…おぬしっ!」
 横から顔だけ出す。
 妖怪の、縦に長く収縮した瞳がきょろりと振り向いた。
 「妖怪仙人のようだが、食らうために人を襲ったのか!」
 応えはすぐには返らなかった。
 亘の残骸を捨て、しげしげ二人を眺める。
 大きく横に裂けた口が、嬉しそうに引き歪んだ。
 「君たち、仙道だね。
 「君たちなら、すぐ溶けちゃったりしないかな?」
 太公望と天化は『うわー』ってカンジになった。
 じり、とトカゲの足が動いた。
 「しっ…質問に答えぬか」
 周軍師がひとのうしろからさらに言う。
 右肩を軽く押され、天化は小さく頷いた。
 「うん?何だっけ。
 「ああ、人を食べるのかって?」
 少し違うが、こいつには区別できないのかもしれない。
 「うん、そう。ぼくはね、爪から毒が出るんだよ。
 「それを動物に注射すると、肉がくったり柔らかくなって、おい
  しく食べられるって寸法なんだ」
 あっけらかんと、聞いてないことを喋るトカゲ。
 「炭酸ガスのようなものか…?」
 眉を寄せた太公望が亘の骸を指し、
 「そやつには、あと二人仲間がいたであろう。そちらはどうした」
 「そんなにおいしくなかったよ」
 「……」
 天化の口奥できり、と音がした。
 「こいつ、胸が悪くなるさ…」
 小さく呟く。
 軍師がかすかに顎を引く気配。す、と小さな息遣いが聞こえた。
 天化は片足に体重をかける。
 いきなり打神風!!
 太公望が叫んだ。
 天化の背からさっと分離するや、宝貝技を放つ。
 鋭い擦気音。
 「わ、わ!」
 トカゲはよろけながらもやっと攻撃をかわした。
 「危ないなあ、急に何を…」
 文句は最後まで言えなかった。
 逆側、右から回り込んだ天化の一刀が、派手な色の頭頂へまっ
すぐに振り下ろされる。
 魂魄が飛んだ。
 それを見送る太公望が、地に膝をつく天化に気付いた。
 ひょこひょこ歩み寄る。
 「どうした、天化。
 「傷が痛むのか?」
 「…いや…」
 道士は脇腹をおさえ、苦しげに地面を見つめている。
 妖怪の毒を受け腐り落ちた、亘の無惨な遺骸…
 「こいつの傷、俺っちのと、似てた…
 「俺っちも、あんな風に…」
 死ぬのだろうか。         
 血を失い、肉を腐らせ、くしゃくしゃに干からびて…
 そして何もせずに?
 手が震えた。
 「ならぬ 」
 太公望が大声を出した。
 ぐいと胸に抱き込まれる。
 「おぬしはこんなことにはならぬ…
 「必ず何か治療法がある、それを見つけるのだ 」
 (スース…)
 自分に言い聞かせるような苦しい声、痛いほどつかまれた肩。
天化は全身に太公望の真情を感じた。
 そう、それが、シナプスを通って気持ちになる。
 軍師の細い腕に手をかけ、こころもち頭を預けた。
 不安が消えたわけではない。
 けれど、今はこの気持ちを信じようと思った。
 太公望は…
 やがて世界を開く。
 細い体の中には宇宙がつまっていて、それは遍く人々を包むの
だ。
 この人に命を預けた時から、自分はそれを知っていた。
 そして今も信じている。
 だから…この人の大きさに甘え、実の父にさえ張れる虚勢が通
じない。それは
 ふと、小さな願いがかすめた。
 もしも死ぬなら、この腕の中がいい。
 ああ、でも、後悔するだろうか。
 このたよりないあたたかさを残してゆくことを。



 

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