光の杖(WJ封神演義・天化×太公望)


三章 思いのかたち



 「おお、いい眺めだのう」
 山道を6合目あたりにさしかかり、崖の上から下界を見下ろして
太公望が嘆声を放つ。眼下にははるか地平線と空が出会うまでを一
望にできた。
 ふくよかな山は若緑の裳裾をゆるく引いて静かに大地を抱き、時
折滝の水が白く光る。やさしい花の香りに誘われて町の方角に目を
移すと、屋根の瓦が日にきらめき、青い川が整えられた田畑を従え
てゆたかに流れていく…
 東南、殷の方向へ。
 周軍師は大きな目をわずかに細め、唇を結んだ。
 「スース?」
 天化に呼びかけられて、ふっと肩の力が抜けた。
 細い腕を庇にして中天にある太陽を見上げる。
 「そろそろ昼か。小休止するかのう」
 「そうするさ」
 いそいそ川べりに下りる道士たち。
 天化が湯を沸かし、宿で分けてもらった梅こぶ茶を淹れる。ほっ
くりした湯気と、ほのかな梅の香りが漂った。
 太公望は嬉しそうに弁当の包みを開いている。
 「おおっ、おやきだ!野沢菜入り、しかも5個 」
 ほんとに嬉しそうに。
 「ほらスース」
 天化の差し出す紙コップを受け取り、一口すすった。
 「しかし…昨日はすっかり目立ってしまったのう」
 樹影を透かす日差しに目を細め、おやきにかぶりつきながらボヤ
き出す。
 「誰のせいさ」
 「おぬしが派手なのだ。あやつら、怨みを含んでおらねばよいが」
 「…鏡見たら、怨むんじゃねえか…?」
 すっぴょぴきぴー。
 太公望は白々しく口笛を吹いた。
 天化が肩をすくめる。
 こここここ。
 お茶のおかわりを注ぐ音が、やけにしみじみ漂った。
 「…いい天気だのう」
 もぐもぐしながら軍師が呟く。目が半分になっていた。
 ぐも…んぐ。最後のおやきを飲み込むや、
 「ぐう」
 0.2秒の墜落睡眠。天化の目がまた点になった。
 「まあ、いいけどよ…」
 弁当の包み紙を火の中に放り込み、自分もごろんと転がった。
 「あ」
 ふと起き上がり、連れの様子を確かめる。
 まちがいなく熟睡中だ。鼻ちょうちん出てるし。
 (今の内に…)
 火を消すと、自分の荷物をつかんで川へ下りた。
 腹のさらしを解く。じんわり血がにじみ始めている。手早く
手当てし直した。
 「ふう…」
 息をつく天化。さらしを洗っていたら、一昨夜の太公望と
太乙真人の会話が思い出された。
 『難しいね』
 『天化は、子供なのだ…』
 小さく舌打つ。
 たぶん、本当なのだ。子供だと言われて腹の立つうちは。
 けれどなぜか、太公望に言われるとやたら引っかかる。
 (どうしてさ?)
 天化の眼差しが揺れた。
 そこへ思いを馳せてはいけないような、しかし突き詰めず
にはいられないような…
 「あーわかんねえ 」
 がりがり頭を掻く。血行がよくなって少し落ち着いた(笑)。
 (どうかしてるさ)
 短い息を吐き、彼は竹筒に水をつめてベルトにぶら下げた。
宝貝は懐にあるので、腰が淋しかったのだ。
 大ざっぱに顔を洗って川原に戻る。
 「あれ」
 太公望がいない。
 小用でも足しに行ったのだろうか?
 なぜか、焚火あとの近くに置いたはずのタバコの箱も消え
ている。
 「…?」
 何となく辺りを見回す。
 「ん」
 山道に上がる土手の途中に、靴が片方落ちている。
 (スースのはいてたやつさ)
 天化は荷物を放り出して駆け寄った。
 黒の麻靴。間違いない。
 「どういうことさ…
 スース!
 大声で叫ぶ。
 応えはない。混乱と疑問が押し寄せた。
 太公望はどこへ行って、
 なぜ片方だけ靴を落としたのか。
 それに消えたタバコ。
 誰かがここに来た…
 太公望は、
 自分の意志で消えたのでは、
 …ない!?
 血の下がる不快な感触。一瞬、世界から音が途絶えた。
 天化は歯を食いしばり、必死で気を取り直す。
 まだ何も決まっていない。
 それにいずれにせよ、遠くへ行ける程の時間は経っていないは
ずだ。
 先刻の崖に駆け上がった。忙しく周囲を見回す。
 せめて、山を更に登ったのか下ったのかだけでもわかれば…
 彼の懊悩を知らぬげに、山は深く静まっている。
 「くそ…」
 苛々と吐き捨てる。
 こんなにも不安になるのが自分でも奇妙に思えて、余計に落ち
着かない。
 自分は、一体どうしてしまったのだろう。気質は安定している
つもりだったのに、これでは…
 そう、まるで子供だ。
 「畜生…」
 低く呟いた唇から、ぎり、と音がした。落ち着こうと莫邪の宝
剣を手で確かめた時、覚えのある匂いが鼻をくすぐる。
 「これは…」
 自分のタバコだ。
 「下かい!」
 天化はいきなり崖下へ身を躍らせた。
 急な斜面を、バランスを取りながら踵で滑り降りる。
 熊笹の藪を突っ込む直前に跳び越えた。
 細い山道に見知った銘柄の吸殻。
 左右を見渡す。柔らかい白がちらりと視界をよぎった。
 (スースの服さ!)
 左へ猛ダッシュ。
 道の先には、人の手の入っていない深い森が蟠っている。
 あそこへ入られては厄介だ。
 (スース。
 (スース。
 (スース!!)
 理性では、太公望は無事なはずだと判っている。
 封神はされていない。
 何か害されたのなら、わざわざ連れ去りはしないだろう。
 けれどそんな判断を圧して、感情がひとつの名だけを繰り返す。
 熱病に罹った者が、水を求めてあえぐように。
 爆走する天化の目は、じきに賊の姿を捉えた。
 軍師をひっ抱え、えいほえいほと逃げて行くのは、確かに昨日
の三人組だ。
 「待つさっ!!」
 大音声に、チンピラたちがぎくりと振り返る。
 中の一人がわめいた。当たり役の下っ端だ。
 「だから一服つけてる時じゃないって…」
 「うるせえぞ亘!」
 頬に朱墨の残るあにき2がわめき返す。セコくもタバコまで持
ち出したのはこいつらしい。
 「くそ!」
 天化の勢いに逃げ切れないと悟ったか、三人は立ち止まった。
 一番図体のデカい亘が、太公望を担いだまま後ろへ下がる。
 前の二人が懐に手をやった。
 すらりと抜かれた匕首の刃が、ぎらりと剣呑な光を放つ。
 天化はチンピラたちからやや距離を取って足を止めた。
 太公望の様子を窺う。
 意識を失っている。
 蓑虫のようにぐるぐる巻きに縛られてはいるが、怪我はなさそ
うだ。
 「ス…天牙をどうするつもりさ」
 厳しい問いに、鼻の頭が黒っぽいあにき1が口の端を歪めた。
 「へっ。昨日、ひとにさんざハジかかした詫びをしてもらおうと
  思ってな」
 「なら俺っちに…」
 「こりゃこいつだろうが!」
 と2が自分の頬を指す。ピ○チュウはヤだった模様だ。
 「大体、テメーなんぞよか、こん位のガキの方が高く売れるって
  もんだ。
 「…好事家にゃ、よ」
 「クソ生意気な顔でどう泣くのか、俺たちが試した後でな!」
 三人がゲラゲラ笑う。
 天化の目に血の色が入った。視線が下がり、獰猛な顔つきになる。
 「…あんたら、幸運さ」
 小さく呟いた。
 「今のセリフを、楊ゼンさんやビーナスでも聞いてみな。どんな
  目に遭わされるか判んねえぜ…
 「まだ、俺っちでよかったさ」
 ごく低い声は、不思議によく通った。
 辺りからは鳥の声もしなくなっている。空気がずしりと重みを増した。
 「な、なにわけわかんねえこと言ってやがる。
 「てめえ、おかしんじゃねえのか…」
 あにき1の虚勢は、尻すぼみに縮まり消える。
 道士が顔を上げる。手に、いつの間にか黒い筒状のものを握っていた。
 「…?何だ、そ…」
 亘は尋ねかけたまま固まった。
 ぶうん…
 莫邪の宝剣から清浄な光があふれ、透明な刃をかたちづくる。
 「なっ…」
 「ありゃあ、まさか…
 「て、めえ…道士か!!」
 「そうさ。だから殺しゃしねえ。
 「けど、骨の数本は覚悟して貰うさ!」
 うろたえるチンピラどもへ、ひたりと宝剣の光が向けられる。
 「う…」
 「や、野郎。こいつがどうなってもいいのかよ 」
 あにき2が慌てて、亘に担がれている太公望の首筋に匕首をつき
つけた。
 天化はチッと舌打った。
 「どこまでもお約束通りさ…オリジナリティってもんが全くねえ」
 「やかましい!
 「さあ、その妙ちきりんな棒をこっちによこしな」
 「これは宝貝さ」
 「あー、知ってるぜ。
 「仙道の使うスゲエ武器だろ?」
 どうも冊、中途半端に学があるようだ。
 「普通の人間が宝貝に触ると、生気吸われてミイラになるさ」
 天化は凶悪な気分のままだったが、道士としての良心は残っている。
 教えてやったが、あにき1は地面に唾を吐き捨てた。
 「へっ、そんな脅しに乗るかよ。いいからそいつをよこしゃがれ」
 「曹あにきの言う通りにしな!」
 匕首がわずかに動いた。
 太公望の首から血の珠が盛り上がる。
 「っ…」
 天化は唇を噛んだ。
 すがめた目の奥で必死に突破口を探す。
 せめて、太公望が意識を取り戻してくれれば。
 「はアん…
 「道士サマは仲間の命よか、おたからが大事だってかい」
 冊が歪んだ笑いを洩らした。
 「あにき、もう行こうぜ」
 「待つさ!」
 「何だよ。おたから渡す気になったか?」
 「くっ…」
 仕方ない。
 要は、触らせなければいいのだ。天化は宝剣の光を消した。
 「よーし、そいつを投げておめえはそこへ座んな。
 「おかしなまねすんじゃねえぞ」
 曹がニヤニヤ指図する。
 天化は宝貝を高く放り投げた。
 紫陽洞の秘宝が高い放物線を描き、一瞬陽光を弾く。
 男たちの注意が逸れた。
 と見るや、道士は必殺の一語を叫んだ。
 「スース!
 「桃さっ!!」
 「なにっ!」
 太公望が跳ね起きた。
 宝貝の軌跡を追っていた冊が頭突きをくらってひっくり返る。
 亘もバランスを崩し、蓑虫道士ごと尻餅をついた。
 この間に、天化は曹に肉迫していた。
 腰でためた短い当て身が、まともにチンピラの鳩尾に入った。
 「う」
 呻いて崩れるのは捨て置き、落ちて来た宝貝をナイスキャッチ。
 それをベルトに挿すとほぼ同時に、太公望を奪回していた。
 「?
 「?
 「??」
 もごもご動いている襟首を捕まえ、チンピラたちから離して投
げ捨てる。
 「いっ、痛いのう」
 抗議は流された。
 更に、流れは攻撃に移る。
 冊はやっと取り落とした武器を探し当てた所だった。構える隙
を与えず、顔面へハイキック。
 ごつい体が吹っ飛んだ。木に激突してずるずる沈んで行く。
 「ひ…」
 ばたばた草の上を叩く亘。
 「捜し物かい」
 天化は、足下に落ちていた冊の匕首を拾い上げた。
 「これさ?」
 一歩一歩刻むように、最後の敵に近づく。
 「かか、勘弁…」
 図体に比べ気の弱いらしい亘は、泡を吹かんばかりだ。
 だが天化はにべもなかった。にっこり爽やかに笑い、
 「今日はしねえさ」
 どばき。
 鬼のよーなショートアッパー。
 大男がタテ回転しながら宙に舞う。ジ○ットアッパー並の破壊
力だ。そう言えば髪型が似ていなくもない。
 そんなこたいいのだが。
 (ひととおり片付いたさ…)
 天化はうずき出した腹の傷を押さえ、溜め息をついた。
 また血がにじみ始めている。
 息を鎮め、太公望の方を振り返った。
 「スース…」
 「天化、うそつきめ。桃などないぞ」
 簔虫様は青スジマークを振り飛ばしつつ、うごうご蠢いていらっ
しゃる。
 天化は頭を抱えた。
 「第一声がそれかい…」
 「はっ、そうであった!
 「これは何事だ、わしはなんでこんなカ コをしておるのだ」
 「遅いさ」
 道士は、疲れた足取りで取り戻した軍師に歩み寄った。
 蓑虫を抱え起こす。
 ふわり。
 と抱きしめた。
 「て、天化?」
 太公望は連れの肩ごしに状況を見、納得と理解と、困惑の色を浮
かべた。
 天化の腕には、筋が立つほど力がこめられているのに、手はそれ
を伝えて来ない。
 こわれものを掌に包むように、そっと自分に触れている。
 ずっと憧れていた宝物に初めて触れる。そんな抱擁の仕方だった。
 「天化」
 太公望がもう一度呼びかけた。
 「……」
 天化はやっと身を離し、うつむいたままスチャラカ道士の縄を解
く。
 「水、飲むかい?」
 腰の竹筒を差し出した。
 嬉しそうに飲む様子を見つめ、
 「…少し、わかったさ」
 ポツリと呟いた。
 「う、うむ?何がかのう」
 太公望が、筒に栓をしながら視線を戻す。天化は前髪をつかんで
目を伏せた。
 「俺っちが、わかってなかったって事がさ」
 体が先に気付いたのだ。
 太公望が、危ないと思った時。
 下衆の悪想の的にされたと知った時。
 かっと頭に血が上り、かつて覚えのない怒りと熱を感じた。
 親父は正しい。自分は、この人にわかってほしかった。
 ただ…
 先に、わからなくてはならなかった。
 それがどんな種類のものなのか。
 「信じらんねえ」
 「……」
 太公望が立ち上がった。
 天化の頭をぽふぽふ叩く。何も言わない。
 「わかんねえよ、スース」
 宝剣の所有者は不信の言葉を繰り返す。
 生まれた時から、場所は移したが戦士となるべく育成されて来た。
 今日までずっと、自分の道はまっすぐに伸びていると信じていた。
 どうして今、剣や戦いじゃないんだろう。
 天化は軍師の服の裾を握りしめ、じっとその顔を見上げた。
 大きな、澄んだ瞳に自分が映っている。
 「のう天化」
 やさしい声が自分の名を綴る。
 「あ…あ?」
 「とりあえず、場所を変えぬか?」
 太公望は、動けないくせに耳だけダンボになっている三人を見ながら言った。



 

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