GO WEST!!(1)


 ぴんぽろぱられん♪
 やけに間の抜けたチャイムが軽やかに響いた。
 「は、はーい」
 なかなか劣らずマヌケな声が応え、ばたばたと走って来る音がする。
 「うわ」
 がっ。
 小さな悲鳴と打撃音を聞き逃すには、訪問者はあまりにも聴覚が鋭かった。ぽりぽり
頬を掻きながら、辛抱強く待つ。
 「お、お待たせしました…」
 数十秒後、やっとドアを開けたのは、片足の小指あたりを押さえた涙目の青年だった。
黒髪に茶色の瞳、ひょろりと高い背がいかにもヘタレ君くさい。
 「ギルバート・テレンス・ブリタニカ?」
 「はあ。どちら様…」
 言いかけて家主の青年は硬直した。自分の足を気にして下がっていた視線が上がるに
つれて、肩が小さく震え始める。
 揺れがちな視線がついに来訪者の全身を確かめるに及んで、気弱げな目は裂けそうな
ほど大きく見開かれた。
 2メートルを軽く超える全身をびっしりと濃茶の毛に覆われ、胸元だけが半月型に白
くなっている。先端に鉤爪を具えた四肢の太さは凶悪なほど、小さな丸い目に剣呑な光
の宿る、どこからどう見ても…
 「く、熊!」
 叫ぶギルバートに、ケモノは旧友のように片手(肢)を上げて見せた。
 「よ」
 「うわあっ、た、助けてくれ、食べないで…」
 がたがたと周囲の家具を巻き込みながら、青年は家の中へ逃げようとする。もつれる
足を、ひどく気分を害した声が止めた。
 「食わねえよ、そんなハラの悪くなりそうなモン」
 「喋った!」
 「さっきから喋ってんだろ。ったく、聞いた通りのヘタレだな。
 「まあいいや、とにかく邪魔するぜ」
 「え、あの、ちょっと」
 「いーからいーから」
 狼狽の他に方途もつかない青年の背中をぐいぐい押し、奇怪な大熊は無理矢理軋むド
アをくぐる。ドア枠がぴしりと音を立てたようだが、幸いギルバートには聞こえなかっ
たようだ。かわりに何かつんとする匂いが鼻を刺すのに気付いたが、ムロン現在の彼は
それどころじゃない。
 「ちょっと…」
 「まーまーまー」
 びくびくと見上げる青年をいなしながら、熊はズイズイ奥へ進む。
 「俺は怪しいモンじゃなくて、あんたの姉さんの使いだって」
 「姉さんの?」
 ギルバートの体から少し力が抜けた。熊を使いに寄越すような姉に心当たりがあるら
しい。
 「ああ。
 「あ」
 洗面所の前で、熊が不意に足を止めた。奥のドアをひょいと覗き込む。
 「ここ、風呂だよな。ちょっと貸してくんね?これ、気持ち悪ぃんだよ」
と自分の毛皮を引っ張る様子に、青年が少し安堵した表情を浮かべた。
 「なんだ、それ、着ぐるみか何かなんですね」
 「あー、まあ、変装だな」
 仮装の間違いでは、と目で語りつつ、ギルバートはしょうことなしに頷いた。
 「タオルはそこの棚に入ってますから使って下さい。ごゆっくりどうぞ」
 「悪ぃな」
 熊が笑った。たぶん。唸るような声は逆に怖かったのだけれど。
 
 
 「ふー、サッパリしたぜ。風呂サンキュー」
 「あ、どういたしまし…」
 居間のドアを開ける音に振り返ったギルバートが、途中でぎしりと動きを止める。
 「…え?」
 彼の視線の先に予測していた人の形はなく、ただ先刻の熊が、カラーリングを変えて
立っていた。
 「パ、パンダ…」
 「おうよ」
 濡れた毛をごしごしバスタオルで拭きながら、目つきの悪い大熊猫は至極あっさり頷
いた。
 「このナリで街歩ってちゃ目立ってしょうがねえだろ?だから毛色染めてグリズリー
 のフリしてここまで来たんだけどよう、これがまあ薬品くせえわカユいわで散々でな」
 「グリズリーって…あのカラーリングじゃニホンツキノワグマ…
 「いやそれはどうでもよくて!」
 混乱する家主が叫ぶのをじろりと一瞥し、闖入者は当面の要求を伝えた。
 「なあ、牛乳くんね?」
 「は?」
 「やっぱ風呂上りは牛乳だろ。できりゃビンがいんだけどよ」
 もう何を言う気力もなく、ギルバートは点目のまま冷蔵庫から2リットル入りの牛乳
瓶を出して来て渡す。巨大パンダが持つと、それは通常の半分のサイズに見えた。
 ごっごっごっ。
 瞬く間に白い液体が真っ赤な口の中に消えて行く。確かにこのパンダは着ぐるみじゃ
ないのだと慄然と思いながら、彼は恐る恐る話しかける。
 「そ、それで、ですね」
 「あん?」
 早くも空になったビンをわびしげに見つめながら、パンダは上の空で返事をした。
 「さっき、姉さんの使いだって言ってましたよね。用件を言ってもらえませんか」
 さっさと用事を済ませて帰らせよう。そんな様子もありありと言うギルバートに、じ
ろりと剣呑な視線が当てられた。思わず喉の奥から悲鳴が漏れそうになり、ギルバート
は慌てて口を塞ぎ息ごと声を飲み込んだ。
 「西へ連れてってほしんだよ」
 「は?」
 ぼそり呟かれた言葉の意味が測れず、彼は間の抜けた声を上げた。
 「ロサンゼルス。博士がそこで待ってる」
 「姉さんが?いつの間にロスになんて」
 「まあ、ちっと事情があってな」
 「事情って…でも、いきなりそんなこと言われても」
 困った顔で言った時、不意に視界の端を黒い影がよぎった。パンダの巨大な掌にかき
取られるように床に押し付けられる。
 「なっいきなり何す…」
 だらららら。
 抗議をかき消す轟音。
 こ、これは、これは、まさか。いかにアメリカと言えど、一般市民はテレビの中以外
でそうそう聞くこともない…
 マシンガンの咆哮!?
 「ちっ、もう来やがった!」
 パンダの低い舌打ち。ふわりと体が持ち上がった。
 「えっ、ええっ!?」
 上着を肩に引っ掛けでもするように大の男を軽々と担ぎ上げ、獣ははきょろきょろと
周囲を見回した。複数の人間が叫び交わす声が近付いて来る。
 「車あるか。キーは?」
 「え、あ、キーはそこのサイドボードの上に。車はキッチンの勝手口につながってる
 車庫にありますけど…」
 思考がマヒするまますらすら答えるギルバートを担ぎ、パンダはキーを引っつかむと
キッチンへダッシュする。
 「あの、ちょっと、何…」
 「ああうるせえな、めんどくせえ」
 うんざりしたような声と同時に、後頭部に衝撃を覚え(ぼか、とか鈍い音を聞いた気
がした)…
 ギルバート・テレンス・ブリタニカは、意識のないまま巻き込まれ人生へと突入する
ことになった。

 

                                   続く。

 

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